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教師が変わる.授業が変わる.子どもが変わる


   

理論a theory

私たちは何のために学ぶのでしょう?
私たちは日本人です。日本語を学ばなくても、日本語を話すことができます。
小さい頃から漫画を描いていますから、図工を学ばなくても絵が描けます。
歌だって、音楽の授業を受けなくてもカラオケで歌えます。
運動だって、体育の授業を受けなくてもできます。

では、なぜ学ぶのでしょう?

自動的な学び

学ばなくても読んで分かった。学ばなくても絵が描けた。歌えた。運動できた。と思っているから授業がつまらなくなるのです。
このような学びを、自動的な学びと呼びます。
こうしたことは、過去の生活の中で体験することにより自動化されており、思考しないで獲得できる概念です。


追求的な学び

分かっていたつもりでいた概念が違うかもしれないと感じたとき、「えっ」「おかしい」「知りたい」と思います。
本当の絵の描き方を知ったら、今までの絵が急に幼稚に見えてきます。
正しい運動の方法を知ったら、今までできていたと思っていた技の完成度の低さに驚きます。
こうした、気づきがあると、本気で本物を追求したくなるものです。

分かりきったことを学ばせるから、本気にならないのです。
子どもの能力は思っている以上に鋭く豊かです。
「展開の核」に触れることにより、子どもはその眠っていた才能をフルに発揮し、追求的に学び始めます。

言葉には二通りの概念がある

@生活概念=生活の経験の中で身につくもの=自動化された概念
    =読めば分かる・見れば分かる..ように感じる身近になった概念。
A科学的概念=媒介的=定義・定理・物理的に説明される概念

石で例えると
@生活概念=実際の石。自動化されたもの。
A科学的概念=非日常の定義。岩の小さな かけらが風化したり 流水で角が取れたりしたもの。
      〔砂より大きい。堅い物、無価値の物や、冷酷・無情の意にも用いられる〕
        という辞書的な普遍的な概念。
科学的概念の言葉は体系的に、上位概念から下位の概念へと構造化されている。


自動的な学び を 能動的な学びに変える

生活概念は、過去の生活の中で体験することにより自動化されており、思考しないで獲得できる概念である。
読みなさい→「読みました。」
分かりましたか→「何が書いてあるのか分かりました。」
                「主人公が悲しい気持ちと分かりました。」
読めば分かることである。
現在よく行われている国語は、この概念について学ぼうとしている。
読めば分かることを聞くので、「どうしてこんな事に時間をかけるの?」と子どもたちは思い、国語が嫌いになる。

それに比べて、科学的概念を問う授業を行うと、子どもたちは、意識的に能動的に読もうとする。すると、読んでいて「ギクッ」とする部分を見つける。

イメージを変える 能動的な学び

文学=
体験を純化したり構想力を駆使したりすることによって得られた作中人物の行為や出来事の描写を通じて、「人生いかに生くべきか」という主テーマが読者の想像力と読解力と豊かな感性により自ら感得されることをねらいとするもの。
と定義されている。つまり、文学作品は、科学的概念を駆使して組み立てられている。だから、文学作品を、自動的な読み(生活概念)で読んでも、ありふれた感想を持つだけでおもしろみがなくなる。

文学の目的と、国語の授業の目的は同じなのか、違うのか?
自動的な読みで読めば、一通りの内容は分かる。
しかし、子どもたちの力で、対立し、話し合い別の考えに移り、本人が変容していく。その知覚の過程が文学。
最初のイメージを変えていく。抱いていたイメージをひっくり返された結果として、人間の生きる目的を考えるようになる。それが授業。

異化 = 自分を変容させる
当たり前だと思っていたことを、見慣れない不思議な物にする。
想像力を喚起する仕組みをつくる。
最初読んだ物を、違ったものにする。

国語の授業の目的=日本語を学ぶ
ひっくり返すために、細部にこだわって読む。=学ぶきっかけになる。
イメージをひっくり返すのは、単語。
だから辞書で調べる。
特に、見逃しがちな、助詞や助動詞は能動的な読みの鍵となる。
(図@)

(図A)


文学の授業とは「作者が意図してかくした仕組みに気付くこと」
読解力と思考力は違う。
言葉の意味理解がないと、思考がない。
思考がないと、読解力がない。
だから言葉の意味を発達させる。
言葉は、思想・意志・感情を伝えるもの
(図B)


文学において、言葉は戦略的に使われている。
言葉には、方向性がある。
気になる言葉とは
「耳慣れない」「気になる」「見慣れない」言葉のこと。


文学の情報には、大事な情報と、その背景の言葉がある。
これをごちゃ混ぜにすると、
(図C)


授業研究の会の学びについて

従来の学びは、読めば自動的に分かる範囲の学習。
子どもも、教師も、なぜわかりきったことをやるのかと思い、楽しくない。
好奇心をくすぐられない。

本当の授業とは
子どもが変わるかどうか。
理論がなければ、そういう授業はできない。

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